第27回上之町誌編纂会議

 

 

日時・場所:平成23年8月30日

 

編纂委員長自宅

 

 

  者:8名

 

上之町会館の完成は10月以降になる予定。

 

 

資料検討: 『群馬県料理店聯合会誌』(昭和11年発行

 

「上之町会館関係書類」(上之町区有文書)

 

「新遠州流挿し花会員章 伊藤清太郎」(明治37年)

 

 

原稿検討(抜粋)

 

 

 

初期の学校とその教育

 

 「明治5年、学制が公布され、全国に学区が制定された。学区制は、全国を七大学区に分け、大学区の下に中学区を設け、その中学区の下に小学区を置き、小学区に一つひとつ小学校を設立していこうというもので、フランスの教育制度を模したものである。同6年6月、一小学区である沼田町に、179番(倉内)小学校と181番(坊新田)小学校の、二つの小学校が開校した。倉内小学校は、旧沼田県庁跡(現沼田市役所)に、士族の子弟が通う学校として、坊新田小学校は、坊新田町妙光寺に、平民の子供たちが通う学校として、同時に開校した。士族と平民を分離したのは、当時、倉内町と沼田町とは分かれていたのと、士族が、平民と一緒になるのを嫌ったためとも言われている。

 上之町の子供たちは、坊新田小学校に通うことになる。

(中略)

同十年に編纂された沼田町「村誌」(群馬県議会図書館)に次のよう記録されている。

人民共立小学校二ヶ所

 倉内小学校 故城郭外旧会計所跡、生徒男六拾人女五拾七人

 沼田小学校 同旧追手門内東側故侍屋敷、生徒男百三拾四人女六拾九人

(後略)

 

 

問題点:身分制度が無くなっても人々の意識は変わらず、士族の子弟と平民の子供は分かれて教育していた。

 

 

上之町にあった沼田英吉利学校

 

「教師は、長州出身の士族 守永満三となっている。授業はすべて英語の教材を使用して行った。たとえば、一年では「ウエストル氏綴字書」「ウヰルソン氏第二読本」など、読書・修身・地理・歴史・経済など多義にわっていた。会話に重点が置かれ、全学期で履修され、商業や日用会話など実用目的のものであった。

(後略)

 

 

           問題点:商人の街である上之町の人々は、生活に役立つ、実用・実践教育を望んでいた。

 

 

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